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生と死の狭間に思う「生きる」ということ。

落日

詳しい事は伏せるが、ここ2~3日、通夜、葬儀とバタバタしていた。

 

死。

 

誰にも等しく訪れるものである。にもかかわらず僕たちは普段は、その現実を忘れがちだ。

だが、身近な人の死は、僕達にその存在を改めて、まざまざと突き付けてくる。

 

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生と死の狭間

故人を目の前にした時ほど「生と死」を意識する瞬間は無いだろう。

理性では亡くなったのだという事実を理解してはいるものの、感覚はそれを否定し、ともすれば故人がふと目を覚ますのではないかと思ったりもする。

そして、「死」というものを理解できず、笑顔で遊び回る子供たちの生命の煌めき

その側ら横たわる亡骸

 

この圧倒的なコントラストを前に少し混乱した頭で、

生とは何か、死とは何か。

どちらが人生の本質なのか。

そんな事をボンヤリと考えつつ法事に参列した。

 

生きるということ

葬儀の中でお坊さんが説法を語る場面がある。

その中の一説にこんな話があった。

我々は「法事というのは故人のために取り行うもの」と思っている。

しかし実は、故人の方が「いずれ訪れる時に向かって日々を懸命に生きることの大事さ」を「死」という現実を以って教えてくれているのではないか。

という。

 

この話を聞いて少しだけ腑に落ちた気がした。

 

全力で生きる

詰まるところ、生と死は一連の事象であり、どちらもが人生の本質である。

大事なのは、最後の時を迎えた時に僕たちの人生がどう語られるのか。最後の時に参列した人たちに何を伝え残せるのか。それが生きる意味についての答えの一つなのかもしれない。

そう考えれば、死の瞬間まで全力で生きることに意義があり、そして死そのものにさえ意味があるのだとさえ思う。

そんな事を感じさせられた数日間だった。。。

 

あとがき

今回は、さすがに記事にしようか正直迷いました。

が、このブログは自分の人生の足跡を残す目的もあり、また死の瞬間まで全力で生きることの意義を再確認させて頂いた故人への敬意を込めて公開させて頂きました。

改めて故人への冥福をお祈り致します。

 

以上、最後までお読み頂きありがとうございました。

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