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墓標

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【死】

2007年11月22日 午前0時35分。

 

父が死んだ。

 

2006年6月末にスキルス性の胃がんが見つかってから、わずか1年5ヶ月の闘病生活の末の事だった。

 

【父】

自衛官だった父。

強かった父。

厳しかった父。

優しかった父。

 

父と息子の関係を超え、人生の師と仰いでいた。

 

そんな父。

【信念】

がんが見つかった時には、既に体中のリンパ節に転移していた。

それでも

「治してみせるさ」

そう言って笑っていた。

 

父は、決して痛いとは言わず。

ただ、神経を削るような痛みに、そして抗がん剤の副作用に耐えながら。

仕事も闘病生活も続けた。

 

【吐血】

それから数カ月後。

母からの電話で父が吐血と下血で入院した事を知らされた。

 

隣の県にある病院までは、車を飛ばして3時間。

やっとの思いで辿り着いた時。

父の顔は、抗がん剤の副作用で浅黒くなり、体のあちこちで皮膚がはがれていた。

 

それでも父は、

「心配させたな」

そういって苦笑いを浮かべていた。

 

【時間】

それ以来、父は仕事へは行けなくなった。

抗がん剤の副作用の影響もあり、体力の衰えが激しかったからだ。

 

僕は、毎週、父の元に通った。

片道3時間の道のりを、

毎週。
毎週。

 

いつか来るであろう「その日」を考えると、ただただ、時間が惜しかった。

 

この頃になると、父はモルヒネの影響で殆どウツラウツラしていたが、時折、ふと目を覚ましては、

「早く治して、仕事にも復帰しないとな」

そう言ってニコリと笑った。

 

【断念】

ある日のこと。

母が父を説得した。

「復帰は無理だよね。来週、会社に退職の挨拶に行こうね。」

母も辛そうだった。

 

抗がん剤の副作用で、かすれて声にならない声で、父は言った。

「会社に迷惑かけられないし、仕方が無いか。」

父は笑ったが、どこか寂しそうだった。

 

【2007年11月19日】

やせ細った父のために「退職の挨拶のためのスーツ」を新調する事にした。

届いたスーツを見て、

「着てみようか」

父が言った。

立っているのもやっとの状態の父を支えながら、何とかスーツを着させると、かすれた声で父は言った。

 

「かっこいいか?」

顔には満面の笑み。

 

「ああ!かっこいいさ!」

僕も精一杯の笑顔で答えた。

 

【2007年11月21日】

それから、たった2日後。

父は病院のベッドの上で僕の手を、強く、強く握っていた。

 

もう体は思うように動かなかった。

 

それでも顔には、やはり満面の笑み。

僕も精一杯の笑顔で答えた。

 

【死ー2007年11月22日 午前0時35分ー】

そして父は死んだ。

自衛官だった父。

強かった父。

厳しかった父。

優しかった父。

痛みに耐え続けた父。

最後まで諦めなかった父。

 

そして、父は死んだ。

 

僕にかけがえのない、多くのものを残して。

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