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我が子の成長をみて思う。成長って、そういう事なんだね。

寝返り

生後4ヵ月の次男君がついに寝返りをするようになりました。これまでも体を横に倒して寝返りを打とうとする素振りはありましたが。

それが昨日になってようやくゴロリ。

寝返りを打った瞬間は、親も本人も ( ゚д゚)ポカーン ってなモンですw

 

今日は、そんな次男君の成長っぷりをみて、「あぁ、成長って、そういう事なんだな」と感じたのでシェアしたいと思います。

 

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「失敗なんてない。あるのは成長の過程だけ」

思い返せば、次男君は寝返りができるようになるまで、横になっては戻り、横になっては戻りを繰り返していました。

見ているだけでも何十回となく。なので、恐らく親の見ていない所で何百回、何千回とトライして、ようやく上手く寝返りを打てるようになったんでしょうね。

そこで感じたのは、この「横になっては戻り、横になっては戻り」の繰り返し。
それって失敗ですか?

ってこと。

恐らく彼にとって、それは失敗では無く、成功に至る過程における単なる試行錯誤の繰り返し。

僕たちは、大人になるにつれて、いつの頃からかトライした結果を成功と失敗に分けて考えるようになっちゃいますよね?

でも。

諦めなければ失敗なんてない。あるのは成長の過程だけ。

そんな風に感じました。

 

「成長は必要か否かという議論」に意味は無い

次に思ったのが、自己成長が必要かどうかという議論について。

肯定派、否定派、それぞれの意見が各所に見られますが、ざっくりまとめると、

  • 肯定派は「自己成長は当たり前」「誰かのためになるんだから」
  • 否定派は「それで自分が苦しくなるのは本末転倒」

ってとこでしょうか。

でも。

僕たちは、「成長」というと苦行のような努力をして、自分を磨き、新しい何かを身に付けていく事だと思いがちですが、それは違うんじゃないかな?と。

これまた次男君に照らし合せてみると、生きていれば、嫌でも何かを感じ、何かを体験する。その体験そのもの全てが成長なんじゃないかと感じました。
それら一つ一つを成長と捉えるかどうかという価値観の違いがあるだけで。

そう考えれば、むしろ成長とは日々を生きた結果なんじゃないかと。

だから、僕たちは「生きてるだけで、その結果として日々成長している」。それに気付く事の方が大事なのかも、と感じました。

 

「目的を持って、どこかに向かうなら」

もちろん目的をもって何かを達成しようとすれば、確かに、それなりの努力や鍛錬も必要です。 努力は必要になる。けど、それを苦行と感じるか、楽しい旅の工程と感じるかは自分次第ですよね。

だから、若いうちは目の前の仕事に打ち込みなさいってな事が言われるんでしょうし。一心不乱に打ち込めば、苦行と感じる余裕すらも無くなるから。

だけど、ある程度の年齢になると、周りを見る余裕が生まれ、目標だのスキルアップだのと邪念が入るようになってきます。

 

そんな時に、先人たちが、「それ、苦行でも何でもないかもよ。」ってアンチテーゼを示してくれています。

例えば、「般若心経(正式には『般若波羅蜜多心経』)」では「色即是空 空即是色(形あるものは即ち実体の無いものであり、実体の無いものは即ち形あるものである)」と教えてくれています。

ビジネス界隈では、コップの水の例え(コップに半分の水が入っているのを見て「もう半分しかない」と感じるか「まだ半分ある」と感じるか。)がありますね。

これらは、世の中には単なる事象があり、それを僕たちが自分の心のフィルターを通して見ているに過ぎないという事を教えてくれています。

これに気付くことが出来れば、簡単にリフレーミング(ある枠組みで捉えている物事を、枠組みをはずして、違う枠組みで見ること)できるようになります。

同じ体験を積み重ねて行くなら、自分の脳を楽しく感じるフレームに据えた方が、長続きもするし、人生そのものをもっと楽しめるようにもなるのは間違いないと思います。

 

まぁ、これについても次男君に照らし合わせると、彼はそんな事すら考えて無いと思いますがw

 

「まとめ」

以上、まとめます。

  • 失敗なんてない。思考錯誤の過程があるだけ。
  • 生きてりゃ何んらかの成長はするもの。日々成長した所を発見しよう。
  • 途中の努力を苦行と感じるかどうかは自分次第。だから楽しんで行こうよ。

っと、まあ大きな話になりましたが、子供の成長に癒され、元気を貰いました。って事でw

以上、参考になれば幸いです。^^

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