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宗教に意識低い系の僕が何の因果かお墓を建てることになった件

お墓の展示場にて

人生とは実に不可思議なものでございます。

 

タイトルの通り、宗教に関しては非常に意識が低い僕ですが、諸般の事情によりお墓を建てることになりました。

これって、何の気なしに~とはいえ 人生の100のリスト に書いちゃったからですかね?

 

※ブログで宗教について触れるのは賛否両論あるのは知っていますが、備忘録の意味であえて記事にしています。

※もし不快な場合にはそっと閉じて下さいませ。

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これくらい意識低い系

現代の日本では、よほどの敬虔(けいけん)な信者でなければ、

  • クリスマスはケーキとプレゼントでお祝いし
  • 年末には除夜の鐘を聞き
  • 年始早々に神社に初詣に行く

ってのが当たり前になってるでしょうし、特定の宗教に対して強い思い入れを持つ人は少ないんじゃないでしょうか?

 

僕も例に漏れずというか、むしろ宗教に対してはかなり意識が低いかもしれません。

 

実際、どのくらい意識低い系なのかというと「俺が死んだら裏庭に埋めて、かまぼこ板でも立ててくれりゃーOKよ!」って言って、ウチの奥さんに「おまえは実家の金魚か!」ってツッコミを入れられるほど。

 

一応、布石とか

こういうことを書くと、無知とか、ちゃんとしないとバチが当たるとか、先祖の祟りがーとか色々と面倒な人が現れそうなんで、一応、布石を打っておきますねw

宗教の知識はそれなりに

仏教については、有名なお経を読み下したり色々な宗派の教義を調べたりしたこともありますし、旧約・新約聖書も一通り読んでますので、それなりの知識は持ち合わせていると思ってます。

といっても仏教について調べたのは単純な好奇心からですし、聖書も知人に「ハリウッド映画(特にホラー)をもっと楽しむには聖書知っとくと良いよー」と言われたのが動機なんで、ここにも意識の低さが現れてますけどねw

年に数回は墓参り

それと一応、盆やお彼岸、年末年始には墓参りに行ってます。

といっても宗教的な意味合いよりも故人に対する思いからで、別に墓参りじゃなくても良いけど故人への思いを何らか形に表すのに丁度良いから~ってくらいの感覚で続けてます。

参考:父の命日に思う | ブログのちから

ちゃんと先祖供養しないと祟るとか・・・

あと「ちゃんと先祖供養しないと祟る」とか、そういうのも信じてません。

それ聞く度に、それ本気で言ってんのかなーってモヤっとしますしね。

科学的なモヤっと

人類の進化

例えば科学的な見解でいうと少なくとも次の2つでモヤっと。

  • 先祖って言うけど、どの辺まで含むのよ?
  • 宗教の成立より前の人類は祟られまくりかい?

実際、人類の発生は数百万年前って言われてるのに対して、現代の主要な宗教が成立したのは数千年以内。

このギャップが埋まらない事には「祟る」って言われてもねぇw

宗教的なモヤっと

宗教的にも何かとモヤっとする事が多いですね。

例えば仏教系で「法要とか供養をしないとバチがあたる」とか言う方もいますが、そもそも祟り&祭祀システムというのは神道が由来でしょ?

お釈迦さんの見解

仏教ってのは本来、この世で生きる上での苦しみから、いかに救われるかを主題とした宗教。

なので、開祖である釈迦(仏陀)は法要や供養といった”あの世”のことについては「考えてもしゃーないねん」とノーコメントを貫いてます(いわゆる「無記」)からね。

あと、主要な宗派の開祖達にも「俺の葬儀?そんなんせんでえーねん、それより悟りの道を極めんかい!」と言ってる方が多いんですよ。

なので、仏教上の正しい供養とか法要とかってのは後世の人達が考えたシステムにすぎず、仏教系でバチとか祟りとか言っちゃう人は、開祖をないがしろにしてて逆にバチが当たらないのか心配になります。

キリストさんの見解

ちなみにキリスト教とかはそれほど詳しくないので良く解りませんが、そもそも供養という概念は無いし、自分に起こる事は全て神の思し召しなので、バチとか祟りとか、そんな概念も無かったと記憶してます
(違ってたらゴメンナサイ)

 

なぜ墓を建てることにしたのか

じゃあなぜ「かまぼこ板上等!」な僕がお墓を建てることにしたのか。
(タイミングについては諸般の事情がありますのでお察し下さい)

主な理由は3つあります。

法律の壁

そもそもお墓って、いくら自分の土地でも裏庭とかに好き勝手に埋めちゃダメなんですね。

 

お墓や埋葬に関しては、墓地埋葬法(正式には「墓地、埋葬等に関する法律」)というのがありまして、内容は厚生労働省のサイトで確認できます。

 

この中の「お墓」に関する部分を簡単にまとめると、

  1. 墓地以外に遺骨を埋めちゃダメよ。(第四条)
  2. 墓地にするのには許可が要るからね。(第十一条)

ってとこでしょうか。

補足として、自宅保管や散骨などの方法もありますが、

  • 自宅保管はOK(埋葬してないんで。手元供養というヤツです)。
  • 散骨は「法務省が『葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪に該当しない』という見解を出している」というサイトも見かけますが、これは公式見解ではないのでグレーゾーン。

です。

要するに法律的にスッキリする方法を取ろうとすると、お墓を建てる(あるいは共同墓地)か、自宅保管の2択になってきます。

ただ、遺骨をいつまでも自宅に置いとくと遺族としては気持ちの整理が付かないので、やはりお墓を建てなきゃ仕方ないというのは大きな理由の一つです。

世間体の壁

かまぼこ板!って言っちゃうくらいなんで、僕は世間体にも無頓着な方なんですけどね。

墓地や埋葬というのは、色んな人の様々な思いが交錯するんで、どうしても世間体という見えない壁が入り込んできます。

ただ、関わる人全員がなるべくスッキリする形にしようと思うと、ある程度の妥協は必要でしょう。
(「かまぼこ板→お墓」が妥協ってのも変な話ですがw)

子供が困らないように

何だかんだ言って、これが一番の理由ですね。

裏庭にかまぼこ板でOKって言われると、そりゃ子供は困るわな~・・・ってのは冗談ですがw

 

仮に僕が死んだ場合、子供たちは親が死んだという軽いパニック状態の中で、

  • 斎場はどうする?
  • 葬儀はどうする?
  • 葬儀には誰を呼ぶ?
  • 坊さんはどうする?
  • 遺骨はどうする?

といった問題に向き合うことになります。

なので、いざという時に子供たちが困らないように事前にある程度の道筋を付けておいてあげたいというのが親心って物なんですね。

 

もちろん将来的に子供が遠方に住む事もある訳で、そうなると墓参りも大変とか、墓が有ったらそれはそれで困るって事も有りますけど。

「その時は自由に処分可」って遺言にでも書いときますかねw

 

最後に

という訳で、諸般の事情と様々な情報や感情が交錯した結果、お墓を建てることになりました。

 

が。。。

 

お墓って、単に建てりゃ良いってモンじゃないんですね。

墓石屋さんで、あれこれ聞いてると、

  • 同じ仏教系でも宗旨(宗派)によって、お墓に刻む文字やら、形式、お参りの方も違うとか何とか。
  • お墓を建てたら開眼法要やら何やらとか。
  • あと戒名とか法名とかがあって何やら付け方が違うとかで変えるとか変えないとか何とか。

ってね。

もう、決まりが多くて面倒くさいの何のって。。。

 

お釈迦さん、そんなこと言ってねーし!

もうこうなったら本職に聞くわ!

ガチンコバトルだわっ!!

 

くらいの覚悟でお寺にも話を聞きに行ったんですが、それはまた後日にでも記事にするかもしれません。

以上、参考になれば幸いです。

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