いつか幸せになりたい。幸せをつかみたい。
良く聞く話ですよね。
もちろん僕もそう思っています、というか思ってました。
幸せを掴み取るために色々と学び、スキルを磨き、努力してるものだと思ってたんですけどね。
先日、幸せそのものについて考えさせられる出来事があったので、今日はその辺りについてシェアしたいと思います。
感謝の一言。
それは、つい先日のことでした。
我が家の一日の終わりは、大抵、僕が子供を寝かし付けたあと、夫婦で一緒に片付けをしたり、翌日の準備をしたりしてるんですが。
この日も例に漏れずで、僕はテーブルを片づけた後、キッチンのカウンターに積んである郵便物の確認を、奥さんは台所で洗い物をした後、花瓶の花を剪定していました。
その時、奥さんがボソッとこう言うんです。
頑張ってくれてありがとう。
と。
奥さんの真意はこういう事でした。
普段は中々言ってくれない一言に、思わずドキッとさせられました。
僕も照れ笑いしながら「え~、全然OKだよ~♪こちらこそ、いつもありがとう!」と返したんですけどね。
奥:(゚Д゚)ハァ
僕:えぇ!? ∑( ̄□ ̄ノ)ノ
奥:長い間、頑張って咲いててくれた花に言ってたのに~www ( ´_ゝ`)プッ
僕:そうなんや~。アハハ・・・ (〃∀〃)ゞ
奥:ん、何だって?こちらこそ? ( ̄m ̄*)ププッ
・・・
一緒に頑張ってる旦那より花に感謝って・・・orz
少し凹みつつも「あぁ、これか」と気付かされました。
幸せを感じる力が高い人のようです。
ニヤニヤする奥さんを眺めつつ思い起こせば、彼女は幸せ力っていうんですかね?そういう幸せを感じる力が強い人なんですよ。
これ、いわゆるポジティブ・シンキングとも少し違っていて、そもそもの幸せの基準値が低いみたいなんです。
今に満足している。
例えば「僕が会社を辞めたらどうする?」と聞けば、
- 好きにすれば。家族全員で暮らせれば、どんな生活してても幸せでしょ?
- むしろ今が出来過ぎた生活なんだし。
- 2~3年なら貯金喰い潰しながらでも私が食わしたるわw
などと笑いながら平然と言い放ってくれます。
(まぁ「もちろん、一生ヒモのままじゃ許さんけどなっw」とケツを叩くのも忘れませんがw)
日々に感謝している。
何より「ありがとう」が口癖の人でして、前述のように花瓶の花を剪定すれば、花に向かって「ありがとう」と言っているようです。
夜は寝付いた子供たちの顔を見ては「ウチの宝物。生まれて来てくれてありがとう。」と女神の様な頬笑みで頭をなでています(しかも毎晩w)。
もちろん、僕にも。。。言ってくれてるハズ。。。
(毎月給料日には「ありがとう、お疲れ様でした」と言ってくれてるから、まぁ良いかw)
掴み取る幸せは長続きしないから。
そんな奥さんを見ていると、ホントの幸せって「なるもの」でも「掴み取るもの」でも無く、今そこにある幸せに気付くものなんだろうな、と改めて考えさせられましたね。
よくよく考えてみると、掴み取る幸せの正体って、達成感とか効用感だったりするので、達成した途端に薄れて行くものですしね。
でも、そこにある幸せに気付く力があれば、そこにある限り幸せを感じる事が出来るんじゃないでしょうか。
最後に
という訳で、僕も「そこにある幸せに気付く力」を磨きたいと思います。
と言いつつ、今の幸せに安住せずに「そこにある幸せ」を増やして行きたい欲が出て、結局、色々と学び、スキルを磨き、努力し続けるんでしょうけどねw
ちなみに、寝静まった子供たちに女神の様な頬笑みを向ける奥さんですが、寝付くまでは、
早よ寝ろや! (#゚Д゚)ゴルァ!!
って鬼の形相で吼えてますけどねwww
(だって人間だものw)